コラム 第5回 「安全」と「安心」

安全・安心の研究を始めて6年が経過しました。私の研究テーマをご紹介したいと思います。

まず、その前に、ちょっとしたお話を。

昔、アメリカの、とある街を訪れた時、私は日本の日常とは違う光景を目にしました。

その街では、日中でも、街中をたくさんのパトカーが走っていました。1分に1台のパトカーとすれ違った、というと、少しオーバーかもしれませんが、当時の私には、そのように感じました。そこで、私は現地の友人に、率直に、「日中で、これだけパトカーが走っているってことは、この街は危険なんだね」と言ったところ、その友人は、「何言ってんだ、これだけ警官がいるから、安全なんじゃないか」と答えました。

なるほど、そういう考え方もあるのか、と妙に納得しましたが、日本の安全の考え方と、アメリカとの違いに触れ、その時の驚きと発見はいまでも印象深いものです。

それからしばらくは、文化の違いで、安全の考え方に、違いがあるのだ、と思っていましたが、いままでアメリカや欧州、もちろん日本の安全の仕事に携わってきて感じるのは、安全の考え方というより、「安心」という言葉に違いが、そこにあるのでは、ということです。

安全と安心の違い、とインターネットで調べると、広く議論されています。

安全は客観的に量れるが、安心はできない、安心は評価不能である、などなど…。

ご存じのとおり、安全性には、基準や要求事項があり、これらは、客観的定量化できます。

認証を取る際に、要求された基準をクリアすることが求められるように、ここまで行う、という事柄で述べることができるものです。100万人あたりの死亡率、事故の年間発生率、等がそうですね。

安心は、情報量と関係がある、と言われています。 「全く知らない」、は安心では無いか、つまり不安か、というと、実はそうではなく、「全く知らない」、より、「ちょっと知っている」方が、不安だったりすることはないでしょうか。

たとえば、普段何気なく乗っている電車バスや新幹線、国内外での事故のニュースで、急に不安になったり、水道水の塩素が身体に悪いのでは?と聞くと、ミネラルウォーターを飲むようになったり、ある国の冷凍餃子に問題があると、その国から来ている食品全部が信用できなくなったり、冷凍食品全体を買い控えたり…。

知らなければ不安でない、のに、調べれば調べるほど、不安になる…。よく経験します。

ただ、ある一定以上の知識があると、不安は少なくなるようです。鉄道の専門家は、外国のニュースで日本の鉄道に不安は感じないと思いますし、水道局の人は日本の水道水の安全性に疑問を感じないのではと思います。間違った情報で不安になる、ということも、知識があれば、防げそうです。

安心は、定量化できない、と述べましたが、本当にそうでしょうか。

前述したとおり、知識と相関がありそうですし、正しい知識があれば、不安は低減し、安心は増大するはずです。

知識とは経験と情報で構成される、と思います。 経験には教育や習慣なども関連してくるでしょう。

タミフルは、インフルエンザの特効薬として知られていますが、副作用があることも、知られています。最初に飲むときは、少々不安でも、一度でもインフルエンザに効いた、という経験は、タミフルへの不安を低減することでしょう。薬が効いたことは1つの「正しい」情報でしょう。

安心とは、経験、情報、そしてそれからの知識の関数で表せそうな気がします。

ただ、ここで重要なのは、「正しい」経験、情報、ということです。

「正しい」とはなんでしょうか? 意味を調べると、「道理にかなっている。事実に合っている。正確である」と出ています。事実である、正確である、ということですが、これが、また厄介です。

冒頭のパトカーの話、友人には、「パトカーが多いほど安全」というのは、どうやら「正しい」ようです。つまり、事実なわけです。事実が文化によって違う、というのは、かなり難問です。

また、記憶に新しいところでは、コレステロールの問題があります。

以前、コレステロールが高い人は食事に気を付けるべし、と言われていましたが、厚生労働省も食事からのコレステロール摂取は、血中コレステロール値に影響がほとんどない、と正式に認めました。

時代や、その時の科学のレベルが「正しい」に影響している例です。

極論でいうと、3世代家族の山田家では正しいが、核家族の鈴木家では正しくない、があるわけです。

安心とは人、文化、時代によって違う、というのは、実は、「正しい」が違うから、ということなのかもしれません。同じ経験、情報、があっても、その人が「正しい」と判断する基準がどうやら違うことが問題のようです。

先ほどのタミフルや、またどんな薬でも、臨床試験をすれば、副作用が報告され、100%安全とは言い切れない訳ですが、タミフルがインフルエンザに効くこともまた事実で、それが、公共の利益に多大な貢献をしています。たとえば、99.9%の人に効果があれば、市場に出すことの方が、安全に寄与している、と言えます。言い換えれば、99.9%「正しい」とも言えると思います。

ハンマーを使った犯罪が起きたので、ハンマーが人を傷つけないように柔軟にする、というのは、土台無理な話です。10万個のハンマーの内、1個が犯罪に使われたので、99.999%安全! これは正しいでしょうか?

様々な製品、商品、機器、機械、の危険因子をすべて取り除く、ということには、限界があります。

では、どんな「事柄」や「項目」の「正しい知識」を「安心」の定量化に使用すればいいのでしょう?

上述してきましたが、安心と感じる状況は主観的な物です。

 安心とは、「正しい」情報と経験、それから培われた「正しい知識」に基づいた判断から導かれるものだからです。そして「正しい」は、人、習慣、文化、環境、さまざまですが、これらから、独立した第3者が、数学的、統計的手法等を持って定量化することが、私の研究テーマです。

 

NPO法人 機械安全ソサエティ 事務局長

Project ASG 社長

原島 圭介

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